41.古川壮一 (日本大学)『メタボとグローバルスタンダード考』2007年05月30日

 小生、図体のでかさではそうそう人には負けません。体重は100キロ以上あると思います。農芸化学会や食品科学工学会などの懇親会で、かなりでかい図体を見かけたら迷わず声を掛けてみてください。今のところメタボリックシンドロームではないですが、年を重ねて行くと、いつか図らずもメタボリックシンドロームと判定されてしまう日が来るのかもしれません。シンドロームとはすなわち症候群です。シンドロームという言葉は殆ど外来語となっていますが、カタカナにするとなんだかおどろおどろしいものです。ヤフーの辞書で調べてみると「同時に起こる一群の症候」とのことです。そのうえに「メタボリック」が冠されています。冷静に考えると恐ろしい病気?です。

 不勉強のため、日本のどこかの学会が作り出した概念なのであろうと漠然と思っていましたが、このコラムを書きながらふと思い立ってアメリカのヤフーで「metabolic syndrome」で検索したところ、なんと「about 3,880,000」と出て驚きました。ちなみに日本のヤフーでは「約1,860,000件」と出ました。なんとアメリカの方が日本の倍も出ています。そこで、誰が提唱した概念であるのかを知りたくなり調べてみると、ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org)に「代謝症候群」の大変詳しい説明がありました。そこには、「2001年にWHO(世界保健機関)が『代謝症候群』という名称と、その診断基準を発表した」と記されており、また、日本基準に関しては「「メタボリックシンドローム診断基準検討委員会」が約1年間かけて検討・設定し、2005年4月8日に日本内科学会総会で発表した」と記されていました。なるほど、最近、俄かに耳にするようになったのも頷けます。

 ところで、最近「グローバル」という言葉を「グローバル化」とか「グローバルスタンダード」という形で目や耳にする機会が多くなりました。「メタボリックシンドローム」という概念の由来や日本への導入の経緯などから判断すると、これもいわゆる「グローバルスタンダード」の範疇に入れることができるものなのかもしれません。居酒屋で一杯やりながら、「「メタボ」は「グローバル」だからねぇ・・・」などといわれるとビビってしまいそうです。

 しかしながら、小生の「マイスタンダード」では、「メタボ」なんぞは自分には無関係と勝手に判断しております。恐らく、単に「メタボ」をよく知らないだけなのかもしれません。ただ、古今東西老若男女、誰しもそのような自分勝手な判断基準や思いを持ちたがるものなのでしょう。少なくとも、そのことだけは「グローバル」であるように思えます。

 

42.松藤 寛 (日本大学)『打倒、おばちゃん』2007年05月30日

 縁があって、このコラムを書くことになりました日本大学生物資源科学部食品科学工学科食品衛生化学研究室の松藤寛と申します。過去のコラムを見ると、学会で見る著名な方が多く、皆さんさすが上手でうんうんと納得させられる。いざ何について書こうかと周りや自分を見直したが、思いつくままに書いてしまい、乱筆乱文になっていることを最初にお詫びしたい。

 食品衛生関連の研究をしていると、概して消費者(というよりもおばちゃん)は白黒をはっきりとつけたがるという印象を持つ。体に良いものとされる食品やいわゆる健康食品は○であり、食品添加物や遺伝子組換え食品は×である。同じ学位を持った研究者が言っても○は○であり、×は○とはならない。○の動物実験の結果が△と出ても○に近い扱いとなり、×は動物実験の結果で陰性とでても、×は○にはならない。このコラムに書いてあったアスパルテームも然りで、合成品は×扱いである。推薦入試の面接で、なぜ食品(の学科)に興味を持ったのかと尋ねると、必ずといっていいほど食品添加物の無い食品を作りたいと言ってくる。現在、ママさんバレーのコーチをしているが、おばちゃんたちを納得させるのは難しく、結局ほどほどにねとなってしまう。科学的根拠を明確にするため、日夜研究しているが、理で動くおばちゃんは納得させられても、直感で動くおばちゃん(理で動いているのかも知れないが・・・)はなかなか納得させられない。このおばちゃんを納得させられれば、食品衛生に関する問題も解決するかもと思いつつ、いまだ成功していない。

 どんな食品といえども○と×が共存している。個人的に○から×への量的問題に興味を持っている。このいわゆる閾値をvitroで簡単に想定できないかと考え、変異原研究からのアプローチを考えている。今では、変異原というよりもDNA損傷、遺伝子突然変異、染色体異常を包含して遺伝毒性と呼んでいるので、以後遺伝毒性とする。遺伝毒性を選んだ理由はいろいろあるが、遺伝毒性研究の領域でも量的問題はクローズアップされている。概ねこちらは食品ではなく医薬品が対象であり、こちら側では×と判定されているものでも量を減らすことによって○にできるのでは?と検討している。周知のように、医薬品は安全性審査が義務付けられており、遺伝毒性試験が第一次審査である。遺伝子突然変異試験と染色体異常試験のどちらもクリアしなければならない。まあ遺伝毒性がすべてではないので、一部は発がん性試験には持っていくようなのだが、遺伝毒性と発がん性はそれなりに相関を有する。一般論として、遺伝毒性を有さない発ガン物質は閾値があるとされているが、遺伝毒性を有する発ガン物質は閾値がないとされている。

 でも、食品中の成分で遺伝毒性を示す化合物もあるが、少量であるので問題ないという報告はいくつもある。なかなか興味深い。天然物中に見出された有用な成分を食品として有効利用するために高含有食品やサプリメントを開発するというのは自然な流れである。ただ、少量でよいものであれば大量ではもっと良いという短絡的な発想に立った食品も多く見受けられる。無責任な表面的な研究ではなく、系統立ったスマートな研究を目指しつつ、結果が残せたらなと思う今日この頃である。

 

43.島村智子 (高知大学)『高知県山間部での驚きの体験』2007年08月17日

 はじめまして。高知大学農学部の島村です。6月末の締め切りだったにもかかわらず,8月の今までコラム原稿を送らなかった不届き者です。村上先生をはじめ関係者の皆様,大変ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。

 さて,反省しつつ気分を入れ替えて,コラムの内容に移りたいと思います。高知大学農学部は本年度改組を行い,これまでの5学科制から8コース制へと変更になりました。私は旧体制では生物資源科学科所属,新体制では食料科学コース所属です。以前の所属名と比較すると,より「食」が強調され,受験生対応などでも「食」をキーワードとした説明をしなくてはならなくなり,自然と「食」という言葉に接する機会が多くなりました。私自身は食品化学を専門としており,学生時代から食品をテーマとした研究を行ってきました。前職でも数々の食品製造実習にかかわっていましたし,食品工場見学の経験も多数あります。よって,自分自身,「食品の製造現場」についてはある程度の知識を持っていると思い込んでいました。しかしながら,先日,高知県の山間部にある大豊町の「碁石茶」製造現場を訪ねた経験は,忘れられないものとなりました。

 高知県長岡郡大豊町は高知市の北にあり,四国山地の真只中に位置し,吉野川が静かに流れる自然溢れる町です。この町は,65歳以上の高齢者が人口の半分を超えており,限界集落と呼ばれる典型的な過疎地です。高齢化社会の最先端を走っていると言っても過言ではありません。ここで,数件の農家が製造しているお茶が「碁石茶」です。生産量が少ないこともあり,幻のお茶とも言われています。私は高知県の地域資源である「碁石茶」の機能性を解明する研究に取り組んでいる関係で,先日,生産現場の調査に向かいました。町役場の車に乗せてもらい,生産農家を訪ねたわけですが,細い山道を延々と上り,こんなに何もない場所に人が住めるものなのか・・・と思うような場所で「碁石茶」は生産されていました。全てが手作業です。今まで,完全防塵でコンピューター制御された食品工場しか見学した経験がなかった私には,人が手作業で茶葉を樽に漬け込んだり,発酵が進んだ茶葉を巨大な包丁で切り出したり,庭の敷地で茶葉を天日干ししたりしている光景は驚きでした。この様子では生産量が少ないことも納得できます。現在,大豊町は,町おこしの一環として「碁石茶」の生産量を増やそうと計画しています。今後,生産性を求めて効率化をはかり,今のような手作業はなくなってしまうかもしれません。本来の私なら,効率化に諸手を挙げて賛成するところですが,伝統の灯を消さないように,手作業での製造技術を守り続けたお年寄りを目の当たりにしてしまった今は,簡単に判断を下すことができません。「伝統の維持」と「進化」の両立は難しいと感じさせられた出来事でした。

 

44.奈良井(金山)朝子(日本獣医生命科学大学)『満員電車内での飲食に想う・・・』2007年09月27日

 日本獣医生命科学大学 応用生命科学部 食品科学科の奈良井(金山)朝子と申します。農芸化学出身で主な専門分野は生化学、食品機能学になります。所属大学の名称に「獣医」という職業名がつくので、初対面の方からはいつも「獣医さんですか?」と尋ねられ、否定と説明に時間を費やしています。大学のホームページがありますので当学科に興味をお持ちの方はぜひそちらをご覧ください。

 さて、このリレーコラムで何を書こう?と考えていたある朝、通勤途中の満員電車の中で、朝食用に握ってきたのでしょうか、アルミホイルに包んだおにぎりにかぶりつくスーツ姿の女性を見かけました。おにぎりが無くなると、人ごみで身体をくねくねさせて鞄からペットボトルの飲料を取り出し、ゴクゴクゴク・・・のりなどの食材から発せられる臭いはさほど気にならない程度だったのですが、彼女に対する周囲の視線には冷ややかなものがありました。私自身もやや不快に感じたのですが、それと同時に「飴を舐めるくらいだと何も感じないのに、なぜ、この場合に不快になったのか?」その理由を考え始めたら、今度の体験から想ったことを(学術的内容にならないですが)コラムに書いてみたくなりました。

 いつか新聞にも「公共の場でモノ食う人」に苦言を呈する記事が載っていたことを思い出しました(ここで言う公共の場とは、主に駅のホームや電車の中を指していました)。しかし、旅行などで長距離・長時間乗る電車(新幹線)の中では、自分も飲食しますし、他人の飲食もさほど気になりません(度が過ぎたアルコール摂取は別です)。何故でしょう?もしかすると、お菓子や弁当などの車内販売があり、車内飲食が許されている空間だからかもしれません。また、そのような車両の座席の配置だと視界に入る他人の姿は限られています。「食べる」という行為は生理的欲求に基づいており、本来“みにくい”“恥ずかしい”行動とも言えます(マナーやエチケットが存在する理由?!)。「ここは飲食OK」という認識や「見えない・見られない」安心感が共有された空間ならば、電車の中でも平気でモノが食べられるのかもしれません。

 では人との接触は当たり前、四方八方人だらけ、といった満員電車で堂々と飲食する人が増えてきたのは何故でしょう?幾つか理由を考えてみました。(1)テレビで芸能人が旅先やスタジオで様々な料理を食べるさまを頻繁に見ていること。これによって、「食べる」行為は “人目をはばかる”行為だという感覚が薄れてきているように思います。(2)ペットボトルやミニ水筒によって飲料を手軽に携帯できるようになったこと。(3)携帯サイズの固形の菓子や栄養補助食品が多く出回っていること。(2)(3)では、忙しい現代人の要望に応えて開発された製品が普及し、「いつでも」「どこでも」飲める・食べられる食品が社会的に容認され、その「どこでも」の解釈が人によって異なってきたのだと思います。(3)に該当する製品でパッケージデザインの改良によって、公共の場を汚す心配が減ると、満員電車内の飲食に対する抵抗感はもっと薄れてくるでしょう。それが良いことかどうか??今回のコラム執筆を機に、電車内の飲食を冷静に観察できるようになりました。

 

45.石井剛志 (静岡県立大学、現神戸学院大学)『くっつく界のお話』2007年12月04日

 世の中には、政界、芸能界、角界などなど実に様々な界が存在しており、多くの人々が何らかの界に所属していることが示唆されている。芸能界は、さらに歌謡界、演劇界、お笑い界と分類されており、どうも活動に応じて強制的に分類されているらしい。我々の属する(と考えられる)食品界の中でも、研究界とか技術界といった分類がなされているが、このような分類からすると、私のように大学で働く食品研究者の多くは、食品界の中の研究界に属していることになる。食品界の中の研究界(長いので食研界とします)に属すると一言でいっても、そこでは異なる観点から多くの研究がなされており、食研界はさらに抗酸化界、アポトーシス界、プロポリス界などと細かく分類されている。このような分類は半ば強制的なものらしいので、新米研究者の私も所属を表明して身を落ち着けないと大変なことになるかもしれない。そこで「先生は食研界の中のどの界に属していますか?」と聞かれれば、私は迷わず「くっつく界です!」と宣言し、本コラムの幕開けとなる。

 「くっつく界」とは何か?“くっつく”と言う文字を見ると、おそらく多くの方々が、「MさんとSさんがどうもくっついたらしいよ」とか、「MさんはKさんを狙っているらしいけど、Sさんとくっついちゃった」などの、宴会中盤まったり無責任系のお話を想像されると思いますが、そうではありません。「くっつく界」とはある成分が、何らかの成分にくっつく(結合)ことを研究する分野の界であり、食研界ではもっぱら食品因子が生体成分に結合することを生業としています。さらに細かく見ると、脂質、糖質、蛋白質にDNAなどその細目が分かれており、ここ最近(私に)最も注目されているのが、蛋白質の分野です。そして、私自身食品因子が蛋白質にくっついてどうにかなってしまうことを中心に研究を進めています。

 食品因子が蛋白質にくっつくと何がどうなるのか?古くは、食品因子の側から見れば“機能性の損失”、蛋白質の側から見れば“当たり前だけど意味のない現象”あるいは“蛋白質の変性”程度に考えられていたように思います。私が、院生初期の学会発表を思い出してみても(そんなに前ではないのですが)、抗酸化全盛時代においては、食品因子と蛋白質との結合は食品の機能性研究においてあまり一般的ではなかったような気がしますし、抗酸化界からは白い目で見られていたかもしれません(被害妄想?)。しかしながら、こういった風潮はプロテオミクスによる標的蛋白質の探索や質量分析による結合部位の詳細な解析が可能となったことで大きく様変わりしました。これらの技術の発展によって、食品因子の結合が蛋白質機能の制御に働く“(翻訳後)修飾”であることがわかってきたからです。例えば、ブロッコリースプラウトに含まれるスルフォラファンは第二相解毒酵素誘導能を有しますが、これはKeap1/Nrf2システムにおいてシステイン残基にスルフォラファンが共有結合することによってNrf2がKeap1から解離し、核内に移行してARE配列に結合することで説明されます。すなわち、スルフォラファンがKeap1に内蔵されるスイッチ(システイン残基)を押す(修飾する)ことでシグナルが伝達され、細胞機能が制御されるのです。ここ数年の論文発表を見ても、TRPA1、プロテインチロシンフォスファターゼ、ペルオキシレドキシンやラミニンレセプター等々、食品因子と結合して細胞機能を制御する蛋白質の報告は増加の一途を辿っています。食品因子が蛋白質に結合すると細胞内で何らかのシグナル伝達がなされ、何らかの細胞イベントが生じるという考え方もだいぶ一般化されたのではないでしょうか?今後しばらくは、食品因子の標的蛋白質探しや結合部位の解析が流行するのではないかと予想しています。

 ここまでの文字数をカウントしてみたら、約1500字と規定打席(1000文字)を超えているようですので、たいしたオチもないまま本コラムも終息に向かいます。今回紹介した“くっつく界”は、私の研究ディスカッションにおける口癖のひとつであり、研究室の学生に「くっつく界ではカテキン類がシステインと反応するのは常識だよ」といった形で実際に使われております。赴任して1年弱、ようやく当研究室や周辺の学生達にもこのような考え方が浸透してきたように思います。私自身“くっつく界”だけに所属して研究の幅を狭めるつもりはありませんが、「食品因子を見たら生体成分と結合すると思え」という考え方が深く根付いているようで、学会発表で化学構造を見る度に蛋白質との結合を妄想してしまう今日この頃です。

 

46.三好規之 (静岡県立大学)『黄金の舌』2007年12月28日

 前筆者の石井先生のコラム中にある“Mさん、Kさん、Sさん”が誰なのかがもの凄く気になる今日この頃です。が、そんなことはさておき。。。

 当研究室では教授主催で“ワインの色当て大会”というものが実施されています。私は全くワインに詳しくないので“完全お客さん状態”で参加させてもらっていますが、目的は、酒の機能性を追求するというところにあると勝手に理解させていただいております。去年と今年は赤ワイン、白ワイン、ロゼ、赤と白ワインの混合、貴腐ワイン、日本酒の6種類を目隠しをして当てるという形式(いわゆる利き酒大会)でおこなわれました。“酔えればOK派伐”に属する程度の私でも日本酒とワインの違いくらいはわかりますが、赤と白とロゼと混合なんかを全てピッタリ当てるのは非常に難しいです。普段飲酒習慣のない女学生などは日本酒とワインの区別もつかないことがあります。ここまで言ってしまうと、非常に低いレベルでの大会であることがバレバレです。私の去年の成績は3つ正解、うち一つはマグレでした。日本酒と貴腐ワインは他と有意に異なるので容易に見分け(目隠ししてるけど)がつきますが、それ以外は見分け(目隠ししてるけど)がつきません。はっきりいって私には味と香りだけで全問正解することは不可能だと感じていました。そこで今年は何とか全問正解を目指し、試行錯誤の繰り返しでしたが日々のトレーニングを重ね、ついに裏技(イカサマではない)を発明することができました。その結果、今年の大会では見事全問正解の栄冠と栄光を手にすることができました。“だからなんなんだ?”というツッコミが聞こえてきそうですが、重度の味音痴の私にとっては非常に嬉しい結果でした。皆様も機会があれば是非大会を開催してみてください。

 来年はルール改正により本大会での裏技の使用が許可されない可能性があります。悩みます。

 

47.榊原啓之 (静岡県立大学、現宮崎大学)『「機能の低下」を前にして』2008年02月01日

 我々の身の回りには、齢と共に訪れる予期せぬ「機能の低下」が潜んでいるものである。それにしても、この「機能の低下」という症状、これほど恐ろしい現象はない。何せ、暫く前なら普通に出来たことが出来なくなるのだから・・・「○○という食品(成分)による××の機能低下抑制効果について」といった研究テーマを推進されておられる(私も含めて)先生が大勢おられるかとは思うが、今回はそんな食研界(石井先生のコラム参照)のお話からは脱線して、私を襲った恐るべき機能低下について紹介させていただきたい。それは、「昔と比べて、飲めるお酒の量が減ってきたなあ」とか「1階から5階まで階段を駆け上がると、若干、息が切れている自分に驚く。運動しなければ」とか「最近、なかなか漢字や人の名前が出て来なくなったよな」などといった機能低下のお話ではなく(深刻な問題ではあるのですが・・・)、かといって「昔は嫌いだったけど、気づいたらいつの間にか食べれるようになっていたシシャモの頭」的なお話でもない。それは「字を書く」という作業にまつわる機能低下のお話である。

 私事であるが、ここ1ヶ月の間、結構な量の文字を手書きで書く機会があった。とある初稿たちを完成へ向けて導いていくという、大学教官ならこの時期、誰しもが携わる作業である。 「極力、手を入れないで、元ある文章を残しつつ・・・」とは最初の試み。でも、なかなかそうも言ってられない。ページが進むにつれ、ついつい赤字の占める割合が増えてきた。と、ここで右手に違和感を覚える。 「・・・あれ?右手に力が入らないぞ!」 それ程大量な文字を書いた訳ではないのに、である。そして考える。何故に右手が?まず最初にたどり着いた結論は、 「筆圧が強いのと違う?」 そうは考えたものの、以前の自分がどのような筆圧で文字を書いていたのか思い出せない。そもそも、自分が書く文字はこんなにも下手クソだったのか?他人ならいざ知らず、本人でさえ解読不能な場合があったりする。もう一つ付け加えるなら、 「文字の書き方って、こんなんで良かったっけ?」 等と訳のわからない違和感が頭を過ぎる始末。このままでは、(解読可能な)文字が書けなくなる時が来るのでは・・・そして、ふと考えた。

 「そういえば、昔と比べて文字を書いていないなあ」  皆さんは、1日にどれぐらいの文字を手書きで書かれているだろうか?私の場合、よくよく考えると、パソコンを使うようになって以降、極端に文字を書く機会が減少している。自慢じゃないが、実験結果をノートにまとめる作業が無ければ、1日に文字を書く機会といえば、メモ書き程度だったりする。その量は、恐らく小学校へ入学して以降、最低量を記録しているに違いない。伝達内容はメールを使用するし、急ぎの用事だったら電話で済ます。例え相手が電話に出なくても、留守番電話サービスなどという便利な機能も普及している。封書で何かを送る場合に添える一筆も、書き直すのが邪魔くさいので、もっぱらワープロで作成して、サインだけ手書き。FAXも同じ。そういえば、手書きの年賀状作成に力を入れなくなったのは、何時頃からだろうか。。。事務方への提出書類も申請書類もすべてパソコンで作成できる雛形があるので、「手書き」が割って入れる隙間はほとんどない。

 一体、何時、モノを書く機会があるのか?と不思議に思ったりする。恐らく、日々の生活で使わなくなりつつあることが、この恐るべき機能低下に繋がっているものと考える。

 スポーツ界では、「以前なら見えたボールが見えなくなった」や「以前なら押し出せた相手が押し出せなくなった」と限界を感じたときに選手は引退を決意するという。このままワープロ界へ完全移籍するのもありかとは思うが、やはり手書き界から引退しないためにも、機能低下が著しい「手書きで書く能力」を維持するべく、日々の訓練を始めなければいけないと痛切に感じる今日この頃である。さて、手書きで手紙でも書いてみようか・・・

 

48.勝間田真一(東京農業大学)『新たな研究テーマ』2008年03月11日

 東京農業大学の勝間田と申します。以前のコラムでマイボス先生が執筆されているのを拝見し、リレーコラムの面白さを感じました。このコラムでは、最近私の周りで起こった大きな変化について書かせていただきたいと思います。また、このことはこれからの自分にとっての新しい大きな研究テーマ?になるものであろうかと思っています。乱文ではありますが、お許しください。

 今をさかのぼること約半年前(別にさかのぼるほどの期間ではないのですが…)、8月の晴れた暑い日のことでした。我が家に新しい命が誕生しました。仕事を放り出して(問題ですね)駆けつけたことを覚えています。時を同じくして、親バカも一人誕生してしまいました。「目に入れても痛くない」とはよく言ったものだなあと感心しています。生まれた直後は約3kgで壊れそうという感じでしたが、今は8kgまで増加しました。その子供の成長を支えてきた栄養源は母乳とミルク。うちでは母乳とミルクの混合栄養で育てていますが、ミルクは知り合いの栄養士さんにこれが良いと言われたもので、妻が赤ちゃんの頃に飲んでいたミルク(ミルクの名称は変わっていますが)と同じものらしいです。ミルク組成を見ても様々な栄養素が入っていて(動物飼育をしているので飼料組成が気になります)、飲んでみても変な甘さがなく赤ちゃんにとって良いものなのだろうなあと勝手に自分で納得しています。また、母乳からは免疫に関わる物質をもらっているからなのかどうかわかりませんが、とりあえず風邪もまだひいていません。5ヶ月頃から離乳食を始め、最初は10倍粥をすり潰したものを与えました。それまで母乳とミルク以外のものを与えたことがなかったのですが、夕食の席に一緒にいたからか、食べることには大変興味があるようでニコニコしながらスプーンで運ばれたものを口にしています。食に興味を持っている(だろう)ということは大変喜ばしいことです。今では寝返りやお座りもできるようになり、「あー、うー」としゃべるようになりました。

 育児をする上でわからないことは育児書を片手にやっていましたが、教科書通りにはいかない事が多々あります。また、子の成長に伴い日々新しい発見もあります。いろいろ考えてみると、研究と同じようなものなのかなあと思ったりもします。これからも本業の研究だけでなく、コの研究?についても試行錯誤が必要かと思っている今日この頃です。

 

49.千葉大成 (城西大学)『いろいろなキッカケ』2008年04月23日

 はじめまして。東京農業大学の勝間田さんからご紹介を受けました城西大学薬学部医療栄養学科の千葉と申します。日本で唯一の薬学部にある管理栄養士養成施設です。私の研究分野は食品成分に着目した骨粗鬆症予防に関する研究を行っています。また、今回このリレーコラムを紹介していただいた勝間田さんは私の農大時の後輩であり、このようなリレーのバトンを受けるのは不思議な感じがいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、農大時代はアカデミックなことよりもむしろ「ノミニケーション」を強く学んだ気がいたします。人との繋がりの重要性や感謝する気持ちなど、研究者としてというよりもヒトとして最も重要なことを農大で学べたことはよかったと思っています。もともと学生時代から食べることが好きでしたが、専門的なことを学び始め、食の追及のためか、BMIが26台と少々まずい状態に至っています。最近では毎年春先に行われる健康診断では常に「再検査」の常連となっていましたが、昨年末にとうとう体調を崩し、病院に行き検査を受けちゃいました。脂質系全面アウトでここでは発表できない数値に驚きを隠せませんでした。ほどなくスタチンを処方され、現在は標準的な値になっておりますが・・。

 ところで、日本の保険制度では3割ないしは1割の自己負担で治療を受ける事が出来ます。また、一次予防として検診を受けようものなら全額自費で、それこそ何万とのお金がかかります。特に、医療費が無料、または負担額が少ない乳幼児(の両親)や、高齢者などはちょっとしたことでもすぐに病院に行きたがり、彼等は『クスリ』が処方されることに安心し、反面、『クスリ』が処方されないものであれば『本当に大丈夫ですか?』と不安感さえ抱きます。このクスリをもらう行為で安心してしまいますが、実は普段からの摂生によってお金かからないですよね。

 今年度から特定健診制度がスタートしました。栄養や運動は薬と違い、即効性はありませんが、少し生活習慣を改善するだけで確実に検査値は改善されてきます。しかし、私のように今まで何年もの間、習慣として身に付いた生活サイクルを大幅に変えれば、無理が生じてきますし、途中で中だるみも出てきます。だからこそ、一回だけの指導ではなく、個々人に合った『テーラーメイド型指導』が大切となってきますが、それを担う場所が少ないのが現状となっています。既存の施設で軽度の疾病患者を継続的に診続ける事が出来るのは、地域に必ずあるドラックストアや調剤薬局であり、その中で働く薬剤師や管理栄養士であると思います。特定健診制度が一つのキッカケとなり、食薬両面から健康状態を管理できる人材の輩出が重要であるなぁと考えています。

 病院の待合室でこんな考えを巡らせていましたが、私としてもコレステロール値によってこんな考える「キッカケ」を与えられたのかと感謝して・・って自己管理が必要だと痛感しています(笑)。とりとめのない話で申し訳ありませんです。では。

 

50.金高有里 (共立女子大学)『”美味しそう”の研究者』2008年05月16日

 皆様はじめまして、共立女子大学臨床栄養学研究室の金高有里と申します。ひょんなきっかけから参加したセミナーでお世話になって以来、いつもお兄様のように慕わせて戴いている大先輩、城西大学薬学部の千葉大成先生からバトンを戴き今回このようなコラムを書かせて戴きます。宜しくお願い致します。

 私は今年に入ってから、写真を撮るという新しい楽しみが増えました。きっかけは一眼レフのデジタルカメラを父から譲りうけたことです。一眼レフのカメラは、今まで所持していた普通のデジタルカメラの何倍もの体積と重さがあるため、持ち運びには苦労します。傍から見ると、首から重いカメラをぶら下げてきょろきょろしている姿はまるでおたくでしょうね(笑)。ですが、写真が趣味である祖父や父の血筋をひいているせいか、カメラのフレームレンズを覗き込むと一気にカメラの世界に引き込まれていきます。

 最初は説明書も読まずに、人や風景をはじめ、とにかく色々なものにピントを合わせてとりとめも無く撮っていましたが、徐々に慣れてくると、同じものを撮ってもフラッシュやレンズの絞り、設定等によって全くイメージの異なる写真ができあがることがわかってきました。こうした魅力に気づき始めた頃から、この写真をとる楽しみと、職業柄もともとあった食べ歩きや料理の趣味とのコラボレーションが始まりました。

 初めてのお店に行ったとき、新作のメニューを食べたとき、心に残った旅先の食材と出会ったとき、市場で珍しい野菜を見かけたとき、土の中から頭をだしている“ふきのとう”をみつけたとき、自分で作った料理が美味しそうにできたとき、盛り付けがお洒落にできたとき、すかさずカメラを持ち出しては角度や背景を考えてシャッターを切るようになりました。

 “食べ物を美味しそうに撮る!”これが現在のところ一番の研究課題です。写真という二次元空間の中で美味しそうに見せるポイントは、カメラのズームを上げて美味しく見せたい食べ物にピントをしっかり合わせ、背景をある程度工夫して適度にぼかすこと、そして照明と角度の調整です。自分で作った料理を撮る際には、盛り付けのセンスの勉強にもなります。そして食べる人が自然と醸し出す幸せそうな表情を撮ることによって写真の食べ物を美味しそうに見せるというのも、なかなか奥が深いテクニックだなと感じました。

 また、これをきっかけに家や本屋に並ぶ沢山のレシピ本、教科書、グルメ本の写真を見直していると、写真の撮り方で読者の食欲や創作意欲の生まれ方が違うことにも興味を持ちました。エビデンスをとるにはまだn数が少なすぎるのですが、アンケート調査を行って、人に美味しそうと思わせる写真の傾向を具体的に研究するのも面白そう!と研究意欲まで駆り立てられます。今のデジタルの時代にはお店のHPやブログ、カタログ、といった様々な形に応用できそうですよね。美味しそうな食べ物が撮れる写真家というだけでなく、食欲の調節機構や栄養の知識も活かした上で、美味しそうな食べ物の写真の撮れる管理栄養士になれたら面白いかもしれないと考える私なのでした。

 今はただの趣味ですが、今後これを何かに活かせるチャンスに備えて、写真の撮り方を研究していこうと思います。いつでもアイデアは募集中ですので、ご一報のほど宜しくお願いします(笑)