51.関根誠史 (日清オイリオグループ(株))『油の風味』2008年06月17日

 はじめまして、日清オイリオグループの関根誠史と申します。共立女子大学の金高先生とは栄養学の集まりでご一緒させていただいており、ひょんなことから、リレーコラムのバトンを引き継がせていただきました。乱文ではございますが、お付き合いください。

 さて、弊社は我が国で初めてのサラダ油、「日清サラダ油」を発売、近年では中鎖脂肪酸の働きで体に脂肪がつきにくい特定保健用食品の食用油である「ヘルシーリセッタ」をはじめ、業務用油脂、ファインケミカル分野に展開する、油脂の総合メーカーです。私は現在、会社の食用油の開発部門におり、いろいろ試食できる(しなくてはならない)環境にあります。ある意味、話題のメタボに一直線の部門です。研究開発を担う中央研究所は、神奈川県、三浦半島の久里浜にあります。久里浜から少し足を伸ばすと「三崎のまぐろ」で有名な三崎港があり、魚のおいしい土地柄でもあります。趣味でダイビングをやるのですが、このあたりは穴場的スポットで、「海がとてもきれい!」とは言えませんが、数多くの魚を見ることが出来ます。ダイビングをやられる方は一度行ってみてはいかがでしょう?ダイビングポイントにはみんな(ごく一部?)のアイドル、イシダイの銀ちゃんがいて、おいしそう、もとい、人懐っこく、かわいいです。

 おいしそうといえば、みなさん、油の風味ってご存知ですか?オリーブオイルやごま油などは他の油に比べて、香りや味に特徴があるのはご存知だと思います(その中でも、産地、精製やメーカーなどによっても特徴が出てくるんですよ)。では、日常の調理に使っている油はどうでしょう?日常の調理に使える油には、サラダ油、キャノーラ油、べに花油、コーン油、こめ油、トクホの健康オイルなどなど、スーパーの棚にはいろいろ並んでいます(最近は値上げさせていただいていますが、何卒ご容赦を…)。炒め物や揚げ物をすると、キャノーラ油のようにあっさりとしていて臭いの少ないもの、コーン油のようにコクがあるもの、こめ油のように香りがいいものなど、結構違うんですよ。変り種であれば、調理時に油はねがしにくい、ふんわりした玉子焼きを作れる「炒め油」などもあります。最近、弊社ではパーム油を配合した「ベジフルーツオイル」という食用油を発売しました。揚げ物が時間が経ってもサクサクしている、そして私も食べてみて驚いたのですが、アジフライをやってみると魚臭さがとても少なくなります。魚の臭いがダメで魚が嫌いな方はお試しください。もしかしたら、食べられるようになるかもしれませんよ。

 こんな風に、ちょっと油種や作り方が変わるだけで、大きな変化が現れる、食品の奥深さには驚かされるばかりです。

 あっさり、こってり、ふんわり、サクサク…この機会にいろいろな油の味を試して、あなたの好きな油を見つけてみてください。

 

52.小林謙一 (東京農業大学)『「食」のメタボと「情報」のメタボ』2008年07月18日

 東京農業大学の小林謙一と申します。日清オイリオの関根さんよりバトンを受け取りました。何を書こうかと悩みましたが、「つれづれなるままにひぐらし硯にむかひて」書くことと致しましたので、しばしお付き合いください。

 私は、大学で「栄養生理化学」という授業を担当しています。その講義の中で、「消化とは、食品由来の生物情報をいったん生物普遍的な情報に解体すること」「吸収とは、その解体された情報を体内に取り入れること」「代謝とは、吸収した情報を、摂取した生物特有の情報に基づき、再構成し利用すること」と説明しています。このように、栄養素を外界の「情報」と捉えることで、妙に説得力ある説明ができることに気がつきました。そうすると、意外に現在の情報化社会における問題も、栄養学的な言葉で語ることができるのではないかと考えました。

 そこで登場していただくのが、メタボリックシンドローム、通称「メタボ」です。「メタボ」とは、内臓脂肪の蓄積、いわゆる肥満によって、インスリン抵抗性を引き起こし、血糖調節が異常となるだけでなく、脂質代謝異常や高血圧を合併し、最終的には動脈硬化になりやすい状態のことをいいます。「メタボ」の本質的な要因について、次のような説明がよくなされます。人類は誕生以来、ほとんどの期間を食糧不足の状態で生きてきたので、「飢餓」に対応するように体ができてきた。しかし、現代のような飽食の状態を人類は想定していなかったので、それに対応するようには体内のシステムはできていない。その結果、「メタボ」は生まれたというものです。つまり、栄養過多の状況に適切に対応できず、体内では逆に栄養素(グルコース)の処理ができなくなってしまうというパラドキシカルな現象を生み出したのだと。

 「情報」についても同じことが言えるのではないでしょうか?我々人類は、進化の過程で「言葉」を手に入れ、「文字」を発明し、外界の「情報」というものを効率よく共有、拡大してきました。それが、「文明化」だといえます。「情報」は、質的にも量的にも大きな変化を遂げてはきましたが、その速度は、文明化のほとんどの期間で緩慢なものであり、我々のキャパシティーで十分対応可能なものでありました。しかし、この十数年、インターネットや携帯端末の普及によって、「情報」は、質的にも量的にも革命的な変化が生まれました。一昔前までは、「情報」は入手するのが難しく、「(情報)飢餓」の時代が長く続きました。数少ない「情報」に対して、能動的に入手し、断片的情報を整理、再統合していくことで、様々な事態に対応してきたといえるでしょう。つまり、我々は「情報」不足に対して、対応することには慣れているのです。しかし、近年の「情報」の劇的変化は、その入手の仕方も能動的から受動的なものへと変貌しました。では、受け手である我々人類はというと、膨大な情報を処理するだけの術(すべ)を、まだ持っていないような気がするのです。いわば、「情報」のメタボリックシンドロームというような現象が起きているのではないでしょうか。情報過多とは裏腹に、我々はその情報をうまく消化し整理できず、「情報不足」の状態に現代はあると、私は思うのです。それを「インフォメーション」抵抗性と名づけたいと思います。

 「食のメタボ」と「情報のメタボ」という、供給過多による異常を克服することが、我々の大きな課題となることでしょう。食のメタボの改善のためには、運動や食習慣の改善が叫ばれています。では、情報メタボの改善には、さて何が必要なのか、考えてみるのも面白いのではないでしょうか。

 

53.小林美里 (名古屋大学)『卵の見た目と中身』2008年08月22日

 愛知県は養鶏が盛んなところです。その背景から、名古屋大学では貴重な鳥類資源の保存・研究が活発にされており、昨年には鳥類バイオサイエンスセンターが設立されました。私は、その鳥類研究の盛んな畜産系分野に昨年度から所属しています。しかし、元々は農芸化学出身のため、今までニワトリを間近で見たことも触ったこともありませんでした。研究ではずっとマウスばかりです。このコラム読者に畜産系の方はきっと少ないと思いますので、私が初めて知ったニワトリ・卵にまつわるお話をしようと思います。

 完全食品と言われる卵の優れた栄養価についてはよくご存じだと思いますが、これは卵生動物であるが故、すなわち卵の中でヒナが発生し、生きていくために必要な栄養素が含まれているためです。この栄養価の高い卵を、ニワトリがほぼ毎日産むことをご存知ですか(恥ずかしながら私は知りませんでした)。自分が卵を毎日産むのを想像してみて下さい。ニワトリサイズの卵を産むとしても、毎日は嫌です。2 kgのニワトリが、60 g(Mサイズ)の卵を産むとしてヒトに換算すると、60 kgのヒトが1.8 kgの卵を産むことになりますが、ほぼ毎日、1.8 kgの卵を産むのはシンドイと思いませんか。我々よりずっと体の小さなニワトリが、ほぼ毎日産んでいるのを知った今では、頑張っているニワトリを応援したくなるのです。

 皆さんが購入している卵黄の色は何色でしょうか。私は橙黄色です。しかし、実験用に飼育されているニワトリから産まれた卵を分けてもらって割ってみると、市販品では見たことのない黄色です。それは卵黄の色が餌に含まれるトウモロコシの量など、飼料の組成を変えることで簡単にコントロールできるとのこと、栄養価とは関係がありません。もちろん、ヨードやビタミンEを強化した付加価値のついた卵は例外ですが。もう一つは卵殻の色です。白色が一般的ですが、赤色を好まれる方も多いのではないでしょうか。なぜか私も赤色を好んでいます。白いニワトリ(白色レグホーンが有名)は白い卵を産み、赤褐色の毛色の名古屋コーチンは赤褐色の卵を産みます(必ずしも毛色と殻の色が一致しているわけではないそうですが)。ちなみに、ウズラの卵は茶褐色と白のまだら模様ですが、やはりウズラは茶褐色と白のまだらな毛色です。卵黄の色と同様に、殻の色といった見た目は栄養価には関係ありません。

 物価の優等生である卵もいよいよ値上げされます。値上げの話題は楽しいものではありませんが、ニワトリの卵の生産性と栄養価を改めて考えてみて下さい。私には今までの低価格が有り難く思われ、値上げにも納得しています。そして、頑張って卵を産んでくれているニワトリを秘かに応援しています。

 

54.柴田貴広 (名古屋大学)『うなぎ』2008年09月25日

 奈良時代の歌人・大伴家持は、万葉集の中に次のような歌を詠んでいる。 「石麻呂に 吾れもの申す 夏痩せに よしといふものぞ 鰻(むなぎ)とり食せ」 夏バテ防止として土用の丑の日に鰻を食べるという風習は、今日では広く一般に知られたものであるが、すでに万葉集の時代から鰻が滋養強壮によいということが(一部の人だけだったかもしれないが)認識されていたという事実は興味深い。

 他の魚とは異なり、「鰻屋」と呼ばれる鰻を専門に扱う店が全国に多いことからも、日本の食文化に深く根ざしている魚のひとつといえよう。ひいきにしている鰻屋があるという方も結構いらっしゃるのではないだろうか。鰻の料理法には、かば焼き、白焼き、う巻き、うざくなどがあり、かば焼きをご飯の上にのせれば、うな丼やうな重となる。鰻の肝を使った肝吸いや肝焼き、鰻の骨を揚げたものや、ウナギパウダーなるものを加えたパイなども有名である。名古屋の人間としては、ひつまぶしを挙げないわけにはいかない。ご存じのように名古屋料理の代表的存在であり、名古屋にお越しの際はぜひご賞味いただきたい。ちなみに筆者は焼きたての白焼きをショウガ醤油でいただくのが好みである。

 筆者が小学生のころ、「鰻の産卵場所を特定したらノーベル賞級の発見だ」などと書かれた下敷きを持っていた。それに影響されたかどうかは自分でもわからないが、高校生の時には鰻の研究をしたいと思っていた時期もあった。結局その道に進むことはなかったわけであるが、数年前にニホンウナギの産卵場所がグアム島近くのマリアナ海嶺であることが明らかになり、それを新聞で読んだ時のことは今でもよく覚えている。その時はウナギの仔魚しか見つからなかったが、このコラムを書いている時に、遂に親ウナギもマリアナ諸島付近で発見されたとのニュースが入った。これからニホンウナギの生態が明らかになってくることが楽しみである。

 ニホンウナギは、6~7月の新月の日の夜に一斉に産卵すると考えられている。数日後に孵化しレプトケファルスと呼ばれる葉状幼生になり、その後変態しシラスウナギとなる。シラスウナギは北赤道海流、次いで黒潮に乗って、晩秋から冬ごろに東南アジア周辺にやってくる。シラスウナギは体長数cmほどしかない小さな体でグアム近海から数千キロの長旅をするのである。東南アジア沿岸にたどり着いたシラスウナギは、川をさかのぼる。鰻は皮膚呼吸も可能であるため、濡れている場所ならば崖でも這い上ることができる。鰻のぼりとはこのことである。川で小魚などを食べながら数年かけて成熟し、その後産卵のために川を下り、産卵場へと向かう。産卵のために川を遡上するサケとは正反対である。

 現在、流通している鰻の大部分はいわゆる養殖ものであるが、商業的なレベルでの完全養殖(すなわち人工孵化とその直後の養殖)が実現していないために、日本沿岸までやってきた鰻の稚魚を捕獲し、ビニールハウスで囲った池で成魚まで養殖する。養殖鰻も天然鰻も本籍は同じ「マリアナ海嶺」である。養殖ものといえども、想像以上の苦労をしてきているわけである。

 最近、鰻をめぐっては、外国産の安全性の問題や産地偽装、輸出規制などの社会的問題が相次いで明るみに出ているが、数千キロもの長旅に思いをはせながら鰻を味わって頂ければ、鰻研究者や養殖業者、料理人の日々の努力・苦労も、そしてはるばるやってきた鰻の長旅の疲れも報われることだろう。

 

55.赤川 貢 (大阪府立大学)『酒とラーメンとアレルギーと水道水』2008年10月22日

 大阪に移り住んで三年半が過ぎました。秋田県から仙台に行って名古屋から大阪へと西に流されて来たのですが、大阪に住み始めて急に謎のアレルギーが発症するようになりました。食後に発症するので食物アレルギーです。体中が蕁麻疹に覆われ激しい頭痛と動悸に襲われます。今までそのような症状が発症したことがなかったこと、同じ食物を食べても発症したりしなかったり再現性が乏しいことからアレルゲンの特定は困難を極めました。そんなある時、当時京都在住のI先生(現静岡)と酒を飲んでラーメンを食べると確実に発症することが判明したのです。しかし、I先生と酒とラーメンが発症の十分条件であり、一人でラーメンを食しても発症する時と発症しない事例もあり、なかなかアレルゲンをラーメンと同定することができませんでした。ラーメンがアレルゲンだというエビデンスもなく、また、ラーメンは大好きなので控えつつも食すのをやめることはできませんでした。ある時、カップウドンDを食して発症したのを機に病院のアレルギー科に行ってみました。その結果、運動が誘発する小麦アレルギーで小麦依存性運動誘発アナフィラキシーだということが判明したのです。小麦を食べて運動すると発症するという恐ろしいアレルギー症状だったのです。これで謎が全て解けました。I先生は、酒好きでラーメン好きでとても早歩きなのです。つまりI先生と会うと必然的に酒を飲む、酒を飲むと流れで必然的にラーメンを食べる、帰りは強引なまでの早歩きにつきあわされる、そして僕だけアレルギーが発症するという特異的な発現機構が解明されたのです。しかしながら、一つだけ疑問が残りました。どうして大阪に引っ越して来てから発症するようになったのかということです。そしてある時、関東に転勤した後輩があるアレルギーに悩まされ、浄水器を設置したら完治したという情報を得ました。調べてみると水道水中の塩素以外の微量な汚染物質が免疫機能や内分泌系に影響を与えて化学物質過敏症や食物アレルギーを引き起こす原因の一つとして考えられているということがわかりました。僕は水道水をそのまま飲むことが多いので、その話を聞いてから全ての飲料水をミネラルウォーターにしました。現代の日本人は、そのまま水道水を飲む人は3割程度にまで減少しているらしいです。そして、飲料水をミネラルウォーターに切り換えて以来、気がつくとアレルギーが発症しなくなったのです。おそるおそるラーメンむさしのしょうゆ豚骨スーパーこってりラーメン大盛りを食べても全く発症しません。そしてついに最近、静岡でI先生とお酒を飲む機会がありました。それまで控えていた流れでラーメンを食べて強引なまでの早歩きにつきあってみたのですが発症しませんでした。この実験によって僕の小麦アレルギーの完治が実証されたのです。大都市大阪の水道水が汚れているのかマンションの貯水タンクが汚染されているのかわかりませんが、水は重要だとつくづく感じました。ちなみに水アレルギーという非常にまれなアレルギー症状もあるらしいです。

 

56.後藤知子 (東北大学)『小松菜とミニトマト』2008年11月28日

 私は、1か月程前より、ベランダで小松菜をプランター栽培している。毎朝カーテンを開け、少しずつ大きくなっている小松菜を目にすると、今日も1日元気に過ごそうという気持ちが湧いてくる。  野菜づくりは以前より興味を持っていたが、実際に栽培し始めたのは今年の5月からで、「野菜づくり1年生」であった。茎が太く花が咲いているミニトマトの苗2本をホームセンターで購入しプランターへ。小さな緑色の実は次第に膨らんだが、その後ひと月ほどは緑色のままで、初心者にミニトマトは難しすぎたかと不安を感じ始めたころ、ようやく真っ赤に。自然と生物の営みに感激しながら第一号のミニトマトを収穫し、自らの味覚を研ぎ澄ませて味わったのを覚えている。慌しく短時間で食べ終わってしまう私の食生活では、あまり多くを味わう前に食べ終わっているのかもしれないなあと思った。

 今育てている小松菜は、先月中旬に種をプランターに蒔くことでスタートした。ご存知の方も多いかと思うが、小松菜は発芽率が良いので、厚蒔きすることなく丁寧に種を蒔く必要があるそうなのだが、何しろ初心者の私はドバッと蒔いてしまった。ほどなくしてワシャワシャ発芽した光景に喜んでいたのも束の間。双葉から本葉が出る頃には、プランターでは大きくなれそうにもなく、時間をかけて丁寧に間引きする必要があり、とても大変だった。それでも、せっかく発芽してくれた、かわいい小松菜スプラウトだし、カルシウムも豊富に含まれているだろうということで、小松菜スプラウトをたくさん収穫し、ミニトマトと同様、自らの味覚を研ぎ澄ませて味わった。すると不思議なことに、塩をふったわけではないのに何故か塩気(塩味とは言い切れないような塩味のような)が感じられる。小松菜はカルシウムなども豊富に含むし、この味は、もしかしたら小松菜スプラウト中のカルシウムも関わっているのかもしれないなと思った。ちょうど、米国のモネル化学感覚研究所のDr. Tordoffが、カルシウムの味について報告した時期であったことでもあり、小松菜スプラウトの味に大変感動した。

 以上、始めたばかりの拙い野菜づくりを通して、何気なく感じたことを書かせていただいた。私は学生時代より、必須微量元素の生理作用と味覚に関心を持って取り組んできた(はずである)のだが、「味わう」という、とてもシンプルな行為をもっともっと大切にしてみると、これまで見過ごしてきたことに気づくのかもしれないなあと思った次第である。そうすれば、お世辞にも美味しいとは思えない私の料理も、少しは美味しくなるのかもしれない。

 

57.河合慶親 (徳島大学)『アメリカ留学式ダイエット』2009年01月05日

 これまで何度となくダイエットにチャレンジしてきましたが意志が弱く失敗に終わってきました。そんな折、海外留学の機会を得ることができ、現在アメリカ(メリーランド州・NIH)で生活して8ヶ月が過ぎました。アメリカ生活でさらに太ることを心配していましたが、90kg弱あった体重は意外にも苦もなく減り、現在180ポンド(81kg)となりました。そんなわけで、アメリカンフード大好きなのにアメリカ生活で体重が減るという「アメリカ留学パラドクス」を自分なりに検証してみました。

歩く生活

 渡米直後1週間ほどは車もなくひたすら歩きまくりました。車は購入しましたが、現在もメトロ(地下鉄)で通勤しているため片道で20分以上は歩いています。何もかもデカイ・広いので歩く距離は相当増えました。日本では自転車で5分の通勤だったので大きな違いです。ジムやプール付きのアパートも珍しくなく、その気になれば運動も気軽にできます。

生活パターンの変化

 ラボは9時‐17時が基本で私もそれほど遅くまで仕事しないようにしています。そのためラボに居る間はかなり濃縮した動きをすることになり帰る頃にはヘトヘトになっています。帰るのが早くなったおかげで夕食も早めに取ることになり、さらには子供と遊んだりすることで夕食後寝るまでの運動量も増えました。夏場は夜9時前まで明るいのでより活動時間が増えました。食後に活動するため夕食にビールを飲むことを控えるようになりました。

倹約生活

 この辺は家賃が高く(約1500ドル)、生活のセットアップなどもあり散財したため決して生活はラクではありません。外食も高くつきます(チップもあるし)ので、食べ歩きたい衝動をグッと抑え本当に行きたいと思った店をゆっくりと巡る感じで試してきました。生活に余裕があったらきっと太っていたことでしょう。

食事

 家でも肉中心の生活にはなりますが、お買い得な鶏肉や脂身の少ない牛肉などをよく利用しています。アパートには強力なオーブンが付いているのでヘルシーにこんがり焼くことができます。生野菜を食べる機会も増えたように感じます。マッシュルームやブロッコリを生で食べたのは初めてでしたが気に入りました。オーブンを使ったお菓子作りにハマりそうになりましたが、これは危険因子です。ちなみに外食してもほとんどのレストランで「持ち帰り」できるので、「無理して全部食べる」こともなくなりました。

太る要因の減少

 例年、秋の学会シーズンから年末年始にかけて体重が増えます。明らかに「飲み会」が原因です。こちらではイベントがあってもランチが多く、飲み会がほとんどありません。また、いわゆる「雑用」も無いので(←日本の皆様すんません)、ストレスを感じることも少ないように思います。「飲まなきゃやってられない」ことが少なくなり、精神的にもヘルシーになった気がします。

 以上、私がアメリカに来て体重が減った理由を検証してみました。こうやって書いてみると「あまりムダ使い(ムダ食い)せず健康的な生活を送る」という当たり前の構図が見えてきます。これまで「食べないように」「運動しなきゃ」と思ってきましたが、生活そのものの変化がいかに大きなことかを実感しています。残り1年の留学生活でリバウンドしないよう願うばかりです。

 

58.寺尾純二 (徳島大学)『夕日よ、急がないでくれ』2009年02月02日

 毎回、FSFのコラムを読者として楽しみにしてきました。ひょんなことから書く側になり、戸惑っています。なんとかリレーバトンを渡さねば、ということで前回のコラムを引き継いで米国生活について話してみましょう(といってもオバマのアメリカではなく、レーガンのアメリカですが)。

 昔話をする。1982年、ロス五輪の2年前に家内とともに4歳、2歳の2人の子を連れてロサンゼルス国際空港に到着した。私にとって初めての外国旅行がこの1年間の米国での研究生活だった。ロスで1泊し、翌日どうにか国内線に乗り換えて米国中西部の埃っぽい町にたどり着いた。町は建設中らしく、至るところで石油採掘機とともに道路工事の標識が目についた。腰に拳銃をぶらさげたカウボーイがうろうろしているのではないかというのが最初の印象だった。実際に街中を歩くと、いかにも“ローハイド”という格好の連中をみかけた。まさにハンク・ウイリアムスの世界だった。1年間をこの地で暮らそうとしたのにはそれほどの理由はなく、その志は実は低かった。今まで過ごした場所と違う環境で一度研究を見直したかった。大学院に入学以来延々と同じテーマである食用油脂の酸化劣化の研究を続けて、そろそろ厭きていた。毎日通う実験室のベンチは澱んでいた。一方、疾病や老化における生体内脂質過酸化反応の役割に研究者達の関心が高まってきた。そこで私も食品から生体へ研究対象を広げたいと考えたのである。UC Davisの食品科学者であるTappel はこの分野で先駆的な研究をすでに成し遂げていたが、まだまだ黄金が埋まっているように思われた。生化学分野では1969年のMcCordとFridovichによるSODの発見をマイルストーンとして、野心的な研究者達が一攫千金?を求めてフリーラジカル研究に馳せ参じてきたころである。なお、酸化ストレスというキーワードが生まれるのは1985年Sies が著した“Oxidative Stress”の発表を待たなければならない。さて、所属した研究室で与えられたテーマは合成抗酸化剤であるBHTの体内蓄積であった。当時は合成抗酸化剤の抗がん作用が注目されており、その研究室ではラット化学発がんに対するBHAおよびBHTの抗腫瘍作用をすでに報告していた。ボスは、当時は新しい分析法であったHPLCを用いて標的組織への蓄積量を知りたかったようである。ラットの乳腺組織を摘出しては、HPLCへの前処理法を検討する毎日が始まった。今から振り返るとウソみたいだが、当時のレベルはそんなものだった。その実験の合間に関連文献を読んでみると、抗酸化剤の作用機構としてラジカル捕捉作用とともに発がん物質の解毒代謝系の活性化が提唱されていることがわかった。WattenbergはBHAがマウス肝臓のGST活性を誘導することを発見していた。今から思うとNrf2がターゲットだったのだが。。。。転写因子という語句も知らなかった時代である。さて1年間の終わり近くになって、意外に簡単な前処理法をようやく見つけることができた。早速、保存していた試料を一気に分析して報告書を作成した。その1年後にボスがこれを論文化したので、現在はPubMedに記録されている。しかもこの内容は現在の私の研究テーマに実は繋がっている。ボスに感謝である。ともかく生体内での脂質過酸化反応を研究したいと思い、滞在中の1年間はアイデアを練っていた。十分に満足のいく結果ではなかったが、帰国後の数年間でそれを具体化することができたのは有り難かった。

 あの頃、時間はゆっくりと流れていた。午前8時30分に実験室に入り、午後5時丁度に家路に着く生活だった。大平原に沈む夕日に向かって、愛馬ならぬアメ車を走らせてI-40(かってのルート66)を家路へ急いだ。その先にはロッキー山脈を越えてGolden Stateが横たわり、そのはるか遠くに黄金の国ジパングがあった。そこから走り続けて四半世紀。黄金を探す旅に終わりはなさそうだ。加齢とともに、何が黄金なのかさっぱりわからなくなってきたが。。。 とほほ。

 

59.中山 勉 (静岡県立大学、現日本獣医生命科学大学)『HGについて』2009年02月09日

 HGとは○○のことです(?)。以後、読みやすさを考えてHGとします(? ?)。では、○○とは何かって(? ? ?)。それは、私のことを知っている方は一瞬のうちに、そうでない方でも、すぐご理解いただけると思います。

 亡くなった父が40すぎからHGであったこともあって、将来HGになることは高校生の頃から覚悟していました。自分自身は30代前半の時、しゃがんだときに後ろから取られた写真をみて最初にその兆候を認識しました。

[エピソード1]

HGからくる不利益

(1)女性にもてない。せめて嫌われないように心がけています。なぜか家内は私に不祥事はないと安心しきっています(これもくやしい)。

(2)新聞の記事によると、HGの人の男性ホルモンはそうでない人よりも統計的に高いそうです。これが「HGはス○○」という根拠になっているのかもしれません。「シルバーグレイの中にはHGよりよっぽど悪いヤツがいる」と、言いたいところですが・・・、負け惜しみです。

(3)友人の一人が同じ年でHGなのですが、混んだ電車の中で席を譲られたことが2回もあって、ショックを受けていました。ただし、これは“利益”かもしれません。

(4)夏、日当たりが強いところでは帽子が手放せなくなりました。てっぺんが日焼けすると悲惨です。

(5)冬、寒い日は帽子が手放せなくなりました。寒い日に帽子をかぶっている同じ大学の先生とすれ違いざま、お互いにその意味が理解できて、強い連帯感を持ちました。

[エピソード2]

HGからくる利益

(1)頭を洗う時間が一瞬で終わる。夏なんかいつもさっぱりしていて清潔です(これも負け惜しみっぽい)。

(2)床屋さんも早く終わる。それでも、気遣いからか、あえて時間をかけていただいているような気がします。

[エピソード3]

 数年前、自分自身の問題がなんとかならないかと悩んでいたころ、“A”から始まる、その手のお店を街中で見つけました。実は二つの有名な会社とも“A”から始まり、どちらか忘れてしまいました。とてもきれいな店構えでしたが、エレベーターに乗って、上の階で降りると、人の気配がありません。かなり逡巡したあげく、勇気を出して声を出すと、奥の方からお店の人が出てきて、いろいろ相談に乗っていただきました。HGをかくす方法に関するお話がとても客観的でしたので、ここにまとめます。

(1)軽度あるいは部分的なHGの場合を除いて、食べ物や整髪料で発毛をうながすことには科学的根拠がない(もしFSFの会員の中でこの辺の研究をされている方がいらっしゃいましたらごめんなさい)。

(2)後頭部に残っている自分自身の皮膚を前に移植することもできるが、結果はあまりかんばしくない。

(3)植毛という手段もあるが、微視的には頭皮が傷だらけになる。

(4)結局、カツラが一番よいということでした。以上の説明に納得して、私はありのままの自分を受け入れようと、落ち着いた心境に至ったのです(少しおおげさですね)。

・・・でも夢は捨てきれない!

最近、ご存じのようにiPS細胞の話題で賑わっております。当然のことながら、いろいろな会社や研究機関で、皮膚由来のiPS細胞から頭皮の細胞に分化することを狙った研究が行われているようです。これが開発できれば莫大な特許収入が得られる他、ノーベル賞も確実ではないでしょうか。なんといっても、選考委員にはHGが多いような気がしますので・・・。

 

60.加治屋勝子(山口大学、現鹿児島大学)『ベビーフード』2009年03月30日

 アチシは2歳。アチシのオカンは山口大学医学部で助教をしているの。いつもバタバタ走っているから、すぐわかると思うよ。オカン曰く、「落ち着きがないわけじゃなくて、何にでも一生懸命なのよ!」だって。

 さて、今はもう立派な2歳のレディだけど、1年とちょっと前まではおっぱいのお世話になっていたアチシ。ウブな頃があったわ。オカンの職場の理解があって、仕事をしながら完全母乳で育ててくれた。そんなアチシも1歳で卒乳したの。それまでには、離乳食という大人の階段を上ったわ。オカンは、時間を見つけては離乳食を作って冷凍しておいてくれた。それをチン!して食べさせてくれるのがオトンの役目。さてさて、最近の大きな学会には保育室が常設されているので、アチシも一緒について行くの。オカンは、右手にスーツケース、左手にアチシを抱えて、またいつものようにバタバタバタ…。一番の問題は、離乳食をどうやって調達するかってことだったらしい。そんな時、お世話になったのが、ドラッグストアや赤ちゃん専門店で売られている、お手軽簡単な離乳食。ハサミいらずで開封できたり、瓶詰めだったり、温める必要がなかったり、とっても便利なの。アチシがオカンと一緒にお出かけできるのも、こういった離乳食製品を手軽に買うことができるからなの。ありがたや~、ありがたや~。ちなみに、今の売れ筋商品って何だと思う?包装形態や味よりも、「(保存料、着色料、香料、化学調味料など)無添加」という表示はもちろんのこと、「国産原材料のみ使用」「国産有機素材使用」「国内自社工場で製造」などと表示された商品なんだって。食品だけではなくて、タオルや綿棒など、こんな物にも!?という商品にまで「無添加」「国産」表示がついているのは当たり前。「無蛍光・無リンの洗剤」「無漂白の肌着」「無染色のガーゼ」「無塗装のおもちゃ」「純国産ベビーベッド」…こういう商品は、普通の商品よりも、もちろん値段が高いけれど、やっぱり売れるのは「無添加」「国産」商品。ウン十年前のオカンの子供の頃には考えられなかったことらしい。こういうベビーフードやベビー用品に支えられて、オカンは好きな学会に参加できたし、アチシも一緒に遠出ができたのだから、本当に感謝しているの。そんなこんなで、表示の力に驚かされた離乳期も終わり、今では、薄味だったら何でも食べられる、すっかりレディのアチシ。お箸だって使えるんだから!

 あ、またオカンがバタバタと走っているよ。…あ、転んだ…。